@article{oai:mejiro.repo.nii.ac.jp:00000881, author = {山西, 正子 and YAMANISHI, Masako}, journal = {目白大学人文学研究, Mejiro journal of humanities}, month = {}, note = {現代語の「感じる」-「感ずる」も含む-は、一般的には「人は舌で味を感じる」(『明鏡国語辞典』の例)のように使用される。動作主が何らかのコトガラを受容するとき、受容内容は格助詞「を」と共起する。しかし近年「入院中、あれほど持て余した長い午後が不思議なくらい短く感じた」(朝日新聞2001・9・22 34面)のような、受容内容が格助詞「が」と共起する例が散見される。この用法の拡大は顕著ではなく、偶発的な誤用として無視できないこともない。しかしこの「誤用」にはいくつかの問題が関わっていると考えられ、一度は検討の必要があろう。ここでは2点について考察し、この現象には現時点でそれなりの存在理由があることを述べる。ただし、将来、これが安定化するか否かを予測するものではない。(1)現時点では、いくつかの場面で、受容内容と共起する格助詞に「が/を」の「ゆれ」がある(太郎はリンゴが/を好きだ、太郎は数学が/を分っていない、太郎はこの歌が/を気に入っている)。これが「感じる」にも生じた可能性がある。(2)漢語動詞の自/他の区別はしばしば流動的である。一般的には「を」と共起する、「他動詞」と意識される「感じる」にもこれが及んでいる可能性がある。, 6, KJ00005094572, P}, pages = {25--38}, title = {動詞「感じる」と格助詞}, volume = {(1)}, year = {2004}, yomi = {ヤマニシ, マサコ} }